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健康(Sprit)〜地水火風空

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アリストテレスフィフス・エレメント(第五要素)古代インドと地水火風空賢者の石

宮本武蔵と五輪書

宮本武蔵

宮本武蔵(写真左)は剣の心を「五輪書」に書き残しました。
この剣の心は武士道と結び付けられ、永く封建社会の支柱なって来ました。
もともと剣術とは敵を倒す実技として発生しました。相手を倒すには彼我の関係において精神と技術を最も有効にコントロールしなくてはならないのです。そして武蔵の記した「五輪書」はそのための実利、実用の書なのです。
武蔵は13歳から29歳までの間、国々に至り諸流派の武芸者と出会い、六十数度まで勝負しましたが、一度も負ける事はなかったと言います。
そして29歳の時、巌流島の決闘で佐々木小次郎を一撃の下に破った事で武蔵の名は一躍天下に轟きました。

佐々木小次郎(上)と巌流島の決闘(下)

しかし、この巌流島の決闘の後、28年にも及ぶ長い空白の期間に入ります。
意外な事に30歳を過ぎてからは剣による勝負はしていなかったのです。
30歳を越してその跡を振り返った時、自分が未熟である事を痛感したのです。
そこで、その後なおも深い道理を得ようと朝夕鍛練を続けた結果、おのずと兵法の道にかなう事が出来るようになったと言います。
「自分は兵法の道理に従って、これをさまざまな武芸の道としているのであるから、あらゆる事について師匠はいない、すべて自ら悟り得た物である。
天の道と観世音を鏡として、我が二天一流の見解、本当の意味を書き表そうと思う。」
そして60歳となった、寛永二十年(1643年)十月十日午前四時、洞窟の中で武蔵は兵法書『五輪書』を書き始めたのでした。

五輪書

武蔵は二年の月日をかけて死のわずか一ヶ月前に『五輪書』を書き上げました。
「我が兵法を学ぼうとする人にとってこの道を行う原則がある」と次の事を示しています。



  • 邪心を持たぬ事
  • 道は観念でなく実践によって鍛える事
  • 一芸でなく広く多芸に触れる事
  • 己の職能だけでなく、広く多くの職能の道を知る事
  • 合理的に物事の損得を知る事
  • あらゆる事について直感的判断力を養う事
  • 現象面に現れない本質を感知する事
  • わずかな現象も注意を怠らぬ事
  • 無駄な事はしない事

この道に鍛練し、その原則を学び取ったならば、どんな敵にも負けようが無いと言います。
そしてこの書全体を一対一の勝負だけでなく、多勢の合戦にも更には社会生活全般にも適用しうる物だと説いているのです。
五輪書は五巻に分かれ、仏教で言う宇宙の五大元素「地」「水」「火」「風」「空」に倣い、「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」と名付けられています。

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地の巻

「地の巻」では、武蔵が編み出した兵法「二天一流」の基本的な考え(総論)を展開しています。そして、剣術だけをやっていては本当の剣の道を知る事は出来ない。大きい所から小さい所を知り、浅い所から深い所に至る。大地に真っ直ぐな道を描く事になぞらえ、最初の一巻を「地の巻」と名付けたのです。

  • 世間では「実よりも花」すなわち、「見かけだけ良くて内容は空虚である」傾向がある。特に兵法の道において、いたずらに色を飾り立て、花を咲かせるだけで術をひけらかし、あるいは何々道場などと称し、教える方も習う方も利をむさぼろうとしている。俗に言う「生兵法(なまびょうほう)は大怪我のもと」と言うのは本当の事である。
  • 何事についても拍子(テンポ・リズム)がある。特に兵法では拍子が大切でありこれは鍛練なしには達し得ない。武芸の道について弓を射、鉄砲を撃ち、馬に乗る事までも拍子・調子がある。発展する拍子と衰退する拍子とをよくよく見分けなければならない。
  • 二刀を腰につけるのは武士の道である。昔は太刀・刀と言い、今は刀・脇指と言う。この二刀の効用を悟らせる為に二刀一流と言うのである。そこでは「持っている手段をあます所無く活用する事。」「左手も右手も同様に機能を果たすこと。」「一つより二つの方が有利である事。」つまり「勝負では全機能、全手段をフルに活用すべき」と言う合理主義の所産なのである。
  • 武器をはじめとして偏愛してはならぬ。必要以上に持ちすぎるのは不足するのと同じ事で役に立たぬ。人が使っているからと言ってまねをせず、その身に応じ武器は自分で使いやすいものでなければならぬ。
  • 家を建てるには「木くばり」と言って材料の木質に応じた使い方をする。 真っ直ぐで節も無く、見かけも良い材木は表側に出る柱とし、少しは節があっても真っ直ぐで強いのは裏の柱とし、多少は弱くても節が無く美しいのを敷居、鴨居、戸、障子などに其々使う。節があっても、ゆがんでいても強いような木は建物の各要所を見分け、充分に検討して使用するならば、その建物は長持ちするであろう。また、材木の中でも節が多い上にゆがんでいて、弱いようなのは足場にでも使い、後で薪になりするが良いのである。同様に、武家の統領も良く人間を見分けて使うならば効率があって手際よく行くものである(適材適所)。
  • その他、技能修練・将の心得・剣と兵法・実用の道・テコの原理、などについて書かれています。
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水の巻

「水の巻」では、心のもち方から体の姿勢、刀の持ち方、目の付け方、構え方足づかい等について詳細に説いています。ここでは水を手本とし、心を水のようにするのである。水と言う物は、固定する事無く、四角な容器でも丸い容器でもそれに従って形を変え、あるいは一滴となり、あるいは大海ともなる。この水の青々とすんだ清い心を借りて我が一流の事をこの巻に書き表すものである。

  • 兵法の道においては、たとえ戦闘の場合にも心の持ち方は平常の際と変わってはならない。むやみと緊張せず、またたるむ事も無く心を静かにゆるがせ、一瞬もそのゆるぎが止まらぬよう、よくよく気をつける事である。
  • 体が静かな時にも心は静止せず、体が激しく動く時にも心は平静を保つ事(静動一如)。
  • 全ての武芸にあっては、平常の際の体の持ち方を戦闘の際の様にし、戦闘の場合にも平常と同じ体の持ち方で戦う事が大切である。
  • 戦闘の際の目の付け所は「物事の本質を観る事を第一とし、表面的な事を見るのは二の次とせよ。」つまり、広い所から物事の本質を深く見極める目「観」と、表面的なことを見る「見」の二つの目があり、大切なのは「観」である。
  • 「遠い所を近くに見て、近い所を遠くに見ろ。」つまり、身近な問題となる細々とした現象に囚われずにその中から大きな法則を学び取る事を忘れるな。
  • 「目の玉を動かさないままにして、両脇を見る事が大切である(見ずしてみよ)。」つまり、直面している問題だけに囚われるのではなく、幅広く周囲を見渡す余裕が大切だ。
  • 全て、太刀の動きにせよ手の持ち方にせよ固定してはならない。「固定」は「死」であり、「固定せぬ事」が「生」である。これを十分心得る事。つまり、物事は変化・発展する事に価値がある、国も会社も個人も進歩を止めた時、それは死滅を意味する。流れる水は腐らないのである。
  • 「構えありて構え無し」。この巻で色々な構えを記しているが、そもそも太刀を一定の形に構えると言う事はあるべき事ではない。何事も相手を切る為の手段であると言う考えに徹する事が大切である。これは、本来の目的を忘れた形式主義に対する批判である。
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火の巻

「火の巻」では勝負・合戦の様々な駆け引きを説いている。火は大きくも小さくもなり、際立った力を持っている。二刀一流の兵法において合戦の事を火に見立て、勝負に関する事を火の巻として書き表すのである。その内容はきわめて心理学的、力学的で興味深い。

  • 環境を見極める事が大切である。位置を占めるには「太陽を背負って立つ」と言う原則がある。座敷の中ならば明かりを後ろに、夜間であるならば火を後ろに背負う事を心得よ。また、「敵を見下す」と言って少しでも高い所で構えるよう心得よ、どのような時もその位置の有利さを生かすよう心がけ、敵を足場の悪い所、傍らに障害のある所などに追い込む等と言う事も同様である。こうした手段を用いる事で少しでも相手に対し心理的・物理的に有意に立っている事を認識させるのである。
  • 物事には「うつる」という性質がある。例えば「眠気がうつった」・「アクビがうつった」と言う物である。敵が落ち着き無く、事を急ごうとする気分が見えた時、こちらがゆったりと構えて見せる事で、相手もそれに釣られ気分が緩む物である。その敵がたるむ間を捉えて強く早く先手を取って勝つ事が大切である。これは人間の心理の無意識的な模倣性、同調性、共感性を利用した物である。
  • 相手の心の平衡を失わせる事が大切である。人は予測しない事態が起きた時、危険や困難が降りかかった時など色々な場面で心の平衡を失う。敵の心の平衡をくじき、その心が定まらないうちに先手をかけて勝つ事が大切である。佐々木小次郎との巌流島での戦いの時も武蔵は二時間以上も遅刻した事で、小次郎の心の平衡をくじいたのでした。遅れた武蔵を見て小次郎は憤然として言い放った「何で遅れた!臆したか!!」と・・・。
  • 刀を持たずとも勝つ道はあり、また太刀を持ちながら負ける事もある。刀にこだわらず、よくよく鍛錬するように。
  • 他にも「相手と同じ戦術を取ってはならない」「相手を知り、その虚を突く」「出鼻をくじく」「敵の崩れを捕らえ追い討ちをかける」「敵の身になって判断せよ」「誘いをかけ敵の意図を見抜け」「かけ声を上手く利用せよ」「同じやり方を三度するな」など多くの知恵が書かれている。
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風の巻

「風の巻」では、わが一流の事ではなく世上の兵法について各流派の事を記している。風と言うのは、昔風(むかしふう)とか今風とか其々の家風とか言う為である。他を知らなければ自己を認識する事は出来ない。他流を批判する事で二天一流の考え方をより明確にしている。戦いの本質はあくまで勝つ事、すなわち物事は実質こそ第一でありそれから遊離した物は無駄な飾りに過ぎないと言う。他の流派は武芸の道を生活の手段とし、華やかな技巧を凝らす事で売り物に仕立てようとする物であって、全く兵法の真の道からは外れた物である。また、世間の武芸にあっては兵法を剣術の事だけと小さく限定し太刀を振る訓練や技術を上達させる事で勝を得る道を見出そうとしているが、こうした事は決して道に適ってはいない。

  • 他流において大きな太刀を好む物がある。「一寸手まさり」などと言って、太刀の長さが一寸長ければそれだけ有利になるように言われているが、太刀の長さに頼り遠い所から勝を得ようとするなどは、心の弱さの現われに過ぎない。よってこれを弱者の兵法と言う。敵との距離が近くなればなる程太刀は厄介となるのである。自分も決して長い太刀を嫌うわけではない、ただ「長い太刀でなければ」と言う偏した考え方を嫌うのである。
  • また、短い太刀だけを使って勝とうとするのも真実の道ではない。短い太刀をことさらに愛用する者は敵がふるう太刀の間をぬって飛び込もう、つけ入ろうと狙うのであり、このような偏った心がけは良くない。敵の隙を狙う事ばかり考えていると、全てが後手後手となってしまう。
  • 太刀の構え方を重視するのは間違った考えだ。兵法勝負の道では何事も先手先手をと心がける物である。これに反し「構え」というのは、しかけられるのを待っている状態だ。 兵法勝負の道では相手の構えを動揺させ、うろたえさせ、脅かし、むかつかせ相手が混乱した所を付け込んで勝を得るのであるから構えなどと言う後手の態度を嫌うのである。わが流儀においては「構えありて構え無し」と言うのである。
  • 他流では「目付け」と称して流儀により敵の、太刀に目を付けるもの、手に〜・顔に〜・足に〜などどこかに目を付けるものがある。このように取り立ててどこかに目を付けようとすれば、それに惑わされてしまう。兵法の目の付け所と言えば、それは相手の「心」だと言えよう。「目で見るより心で観よ!」即ち、「観」事物の本質を見極める事で敵の心中を見抜き全体の状況を把握する事で確実に勝を得る事が出来るのである。
  • 兵法にあって、見た目の速度を云々するのは本当の道ではない。拍子に合っていれば、他人にはごく普通に見えるのであって、物事の拍子が合わないから早く見えたり、遅く見えたりするのである。何の道にせよ、上達した場合には決して見た目に早いとはうつらぬ物である。
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空の巻

「空の巻」は兵法の結論である。合理に徹し実利を追求し、到達した「空」の境地。「心の迷ふ所なく、少しも曇りなく、迷ひの雲晴れたる所こそ、実の空と知るべき也。空を道とし、道を空と見る也。(一切の迷いを拭い去った状態こそ真の空であり、空(くう)の境地に達する事こそ兵法の真髄である。)」 この言葉の中に、もはや勝負を超越した勝負の深奥を覗く事が出来るのではなかろうか。

  • 兵法の智恵、兵法の道理、兵法の精神こうした物が全て備わる事により初めて一切の雑念を去った空(くう)の心に到達する事が出来るのである。物がある所を十分に知る事によって、初めて無い所(空)をも知る事が出来る。空(くう)を道、道を空(くう)。即ち一切の迷いを去った心境こそが兵法の真髄である事。同時に人間としての最大限の修練を積む事により、初めて人智の及ぶべからざる空(くう)の境地を知る事が出来る事、これをわきまえよ。
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仏教と五輪塔

五輪塔

五輪塔は真言密教の世界観にもとづいて考案されました。真言密教ではこの宇宙は地、水、火、風、空の五つの要素で構成されていると考えます。
この要素のことを<大(だい)>といいます。<大>とは「界」とも訳され「ダーツ」というサンスクリット語からきてます。
これは「大きい」という意味ではなく「根源的な」という意味です。この五輪は、それぞれ梵字(サンスクリット語)と色、形(下から、正方、円、三角、半月、宝珠)を伴います。
今日では立方体の石柱が墓標の主流に成っていますが、中世や近世では、仏塔から発生した五輪塔がお墓の基本スタイルでした。
五輪とは仏教用語で宇宙の全てを形成する五大元素(地水火風空)を指していますので「人が死ぬと肉体は五大に還元し、魂は仏の浄土に行く」と言う教えに立てば五輪塔ほどお墓にピッタリな物はないと思われます。
人が亡くなるという事は、これらの元素が無くなるというのでは無く、元の姿に分解し還元されたという事なのです。
この五元素は、科学的な原子とか分子とかいうものではありません。
私達のこの世界に充満する命の働きを表しているのです。

卒塔婆表裏

人間はこの世に生まれ、子供から大人になり人生を終えるとやがて死の時期を迎えます。
肉体は荼毘(だび)にふされて「お骨」となります。
一方、魂はさまよいながら元の生命の働きに帰ってゆき、次の縁を待つと云われています。

この宇宙全てを構成する五大元素によって作られていた人間が死ぬ事によって、元の姿である五大に還元して行く働きを表しているのが正にこの五輪塔であり、卒塔婆(そとば:板に五輪塔の形を刻んだ物)なのです。
卒塔婆(そとば):遺骨を埋葬するときや年忌法要などのときに、お墓の後ろにたてる細長い板の事です。これはサンスクリット語の「ストゥーパ」(「積み重ねる」という意味)を音写したものです。(五輪塔の形になっている)

五輪塔は真言宗や天台宗だけの仏塔ではなく、各宗派共通のものです。
塔婆供養は五輪塔を簡略化したものであり、五輪塔を建てたと同じ功徳があるとされて法事になくてはならない物なのです。
五輪塔や卒塔婆は仏様の命の活動を表しています。
そして私達の命の根源を含み、仏様の徳を備えているからこそ故人の供養には絶対必要なのです。
また故人の魂と私達を結ぶ大切な架け橋でもあるのです。

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五輪塔について

五輪塔

では、五輪塔の形、色、梵字(サンスクリット語)の意味するところを詳しく見てみましょう。 形は下から、正方、円、三角、半月、宝珠で色は地(黄色)、水(白)、火(赤)、風(黒)、空(青)です。

ア(a)字はサンスクリット語の不生(anutpada)という語の最初の文字です。それはこの宇宙は法身大日如来そのものであるから、万物はもともと存在していて新しく生じたわけではない、不生不滅であるという意味です。それは不動である大地に例えられ、安定した正方形で示します。
ヴァ(va)字はサンスクリット語の水(vari)という字の最初の文字です。それは日常言語では表現できない、分別をこえたものという意味です。分別や悩みを洗い流す水に例えられます。形は思いのまま、自在である円形で表わされます。
ラ(ra)字はサンスクリット語の塵(rajas)あるいは太陽(ravi)に由来するとされます。清浄で、塵や埃が無いと言う意味です。煩悩という塵を焼く火に例えられ形は火炎を表わす三角形です。
カ(ha)字はサンスクリット語で原因を表わす(hetu)に由来します。自在に活動し、塵などを吹き払う風に例えられます。一辺は正方形の安定性、一辺は円形の自在性という二つの特性をそなえた半月形で示されます。
キャ(kha)字はサンスクリット語の空(kha)に由来します。それは虚空のように自在であることを意味します。妨げが無い大空に例えられます。団子形は三角と半月を合わせた宝珠(ほうじゅ)の形です。

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宝珠

仏像・宝珠 擬宝珠(橋・神社・神輿・武道館の頭)

この宝珠は良く仏像の左手に持たれています。
仏像が持つ宝珠はすべて如意宝珠(にょいほうじゅ)と呼ばれ「意」の「如」く、すなわち「思いのまま」という意味を持ちます。
仏教の経典では、宝珠は心の中で思い描いたものをすべて与え、あらゆる願いを叶えるとされています。
五重塔などの仏塔や仏堂、武道館の頂上や、橋の欄干、お神輿(みこし)などに取り付けられた「擬宝珠」は、宝珠の持つ力を身近に感じ、長く守ろうとした人々の願いから生まれたとされています。

五重塔

五重塔

卒塔婆(そとば:ストゥーパ)は、巨大な塔へも変化しました。それが五重塔です。
五重の塔は、下層から上層にかけて、五層「地・水・火・風・空の五大を」を型どって造った仏塔なのです。
しかし、肝心なのは五重塔そのものではなく、屋根の上にあるアンテナのような飾りの部分なのです。これを「相輪(そうりん)」と言います。
「相輪」の一番上の部分である「宝珠(ほうじゅ)」が最も重要で、ここがお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を納める所です。宝珠の形は円満成就、完全無欠を表わします。
「相輪」は通常七つの部分からなっています。上から「宝珠(ほうじゅ)」「竜車(りゅうしゃ)」「水煙(すいえん)」「宝輪(ほうりん)」「請花(うけばな)」「伏鉢(ふせばち)」「露盤(ろばん)」です。
相輪

  • 宝珠(ほうじゅ):お釈迦様の遺骨を納める所。
  • 竜車(りゅうしゃ):高貴な人を乗せる乗り物を表す。
  • 水煙(すいえん):火炎の透し彫りのデザインだが、火を嫌うことから水煙と呼ばれる。
  • 宝輪(ほうりん):九つの輪。五大如来と四大菩薩を表わす。
  • 請花(うけばな):上記までのものを受ける飾りの台。
  • 伏鉢(ふせばち):ストゥーパ(お墓)の原型、土まんじゅうの部分。
  • 露盤(ろばん):伏鉢の土台。

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五字厳身観

この五輪を修行者の体の五箇所、すなわち、頭−空、顔−風、胸−火、腹−水、膝−地と考える五字厳身観という観法があります。
これは、其々の体の部分にそって、各体の部分で「マントラ」(ア、ヴァ、ラ、カ、キャ)を唱えサンスクリット文字と其々の「形」(□、○、△、・、・)更に「色」(黄、白、赤、黒、青)をイメージして行くと言うものです。
そのように瞑想していく事で、この身のままに自身は大日如来(宇宙そのものを動かす根源的エネルギー、宇宙生命)であると観想し、自己の内に本来そなえている法身(真理を体とする)大日如来を見い出そうという物です。
このように、五輪塔は「大日如来」(大宇宙)を現すと同時に(小宇宙)である「人間の体」をも現し得るのです。
そしてこの場合、五輪(地・水・火・風・空)をイメージする身体の各部分は、ヨガで言う人体の「チャクラ」の場所と同じだったのです。 (五つのチャクラと言う時は、いわゆる第1と第7チャクラを除いた第2〜第6チャクラの事を指します。)
チャクラとは、サンスクリットで「車輪」や「輪」という意味です。
これらの場所には実際に解剖学的に見ると内分泌腺(ホルモン分泌腺)が存在していて人体の生命エネルギーのコントロールセンターとしての機能があるのです。
これらの、コントロールセンターに、「音(言葉)」・「色」・「形」のエネルギーを上手く組み合わせ、働きかける事で深い瞑想に入って行ったのでしょう。

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アリストテレス

アリストテレスとハリーポッター

後世の錬金術師たちは、アリストテレスが説いた謎の元素、第五の元素が何なのか探し求めました。
それは、あらゆる卑金属を「金」に変え、永遠の生命をも授かると言うのです。
第五の元素を手に入れたものは、物質世界を自在に操る力を手に入れる事が出来るという訳です。
しかしどんなに探しても見つからず、いつしか第五元素は伝説の物質「賢者の石」と呼ばれるようになったのでした。
あの有名なハリーポッターにもこの「賢者の石」は出てきましたね。
中世の錬金術において四元素は「空気(風)=気態」、「水=液態」、「土(地)=固態」、「火=エネルギー(プラズマ態)」を意味しています。

  • 個体(地):机の上に氷の塊(個人)を数個置いてみる(個々の人間達)→個々の意識状態、顕在意識
  • 液体(水):次第に解けて机の上にビチャーと解けて水溜りとなり数個の氷は一体化する→人間の集合無意識
  • エネルギー(火):エネルギーによって水(液体)は徐々に蒸発し
  • 気体(風):空気中に広がって→地球の集合無意識
  • エーテル(空):この宇宙全体にあまねく広がる根本へと還って行くのです→創造主・神など呼び方様々

この様に、地→水→火→風→空と順番に見てみると
固体→液体→エネルギー→気体→宇宙(エーテル)全体という流れを感じる事が出来ます。
このプロセスは水が「氷→水→水蒸気→空気→大気」と自由度を増しながら変態して行くように、人間の意識が「分離した個々の肉体意識・自我意識」からだんだんと流動的になり自由度が増してゆき最終的には「全て溶け合った、一体化した宇宙の集合意識」へと拡大して行く様を示しているようにも思えます。

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フィフス・エレメント(第五要素)

フィフス・エレメント

映画「フィフス・エレメント」では地球が邪悪な生命体に襲われ、かつてない危機に直面しました。
その邪悪な生命体を滅ぼす、宇宙の平和をつかさどる4つの要素(地・水・火・風)の頂点に立つ第5要素とは・・・と言う物語です。
映像作家リュック・ベッソンは、この宇宙空間には、世界を形成する4つの要素、土、風、火、水、の他に「5番目の要素(フィフス・エレメント)」=「宇宙の平和をつかさどる神秘」が存在する、というアイデアをもとにしてこの映画を作成したと言います。

古代インドと地水火風空

五大思想は、古代インドにおいて紀元前4世紀頃から考え始められた思想で、インド思想史の中で『宇宙におけるアハンカ-ラ(我の作者)』あるいは『ブ-タア-デイ(五大元素の源)』という考え方がそれであり、インド思想全般にわたる極めて重要な思想です。
仏教の五輪思想も、古代インド哲学の五大思想の上に在りその思想を受け継いでいると考える事が出来ます。
シヴァ・サンヒター(ハタヨーガの経典)にはこう述べられています。
「エネルギーと思考はまず風を生み、次に火、それから水、最後に地を生み出す。」
これは、今までの「物質から空」へ至るのと全く逆のプロセス、つまり「空から物質」を生み出す「物質化の過程」を説明しているのです。 肉体は地水火風そしてマインドで成り立っています。
地水火風は永遠なる生命と健康、肉体の若さの秘訣であり、マントラ・ヨガは精神の健康及びマインドと感情をマスターする為の秘訣であります。
  • :(アース)ヨガは食物・睡眠・豊かさをマスターする事を意味する。
  • :日々の入浴、温かいお湯はチャクラを開きエネルギー体の浄化を起してくれる。 キリスト教の「洗礼」は水の浄化を象徴している。
  • :火のそばに座ったり、眠っているとエネルギー体の車輪が炎によって回転し始め、浄化される。 世俗での感情汚染が焼き尽くされる。火と水の浄化は永遠なる生命と、若さの秘訣です。 聖書における宗教儀式は火のセレモニーでした。
  • :(空気)は呼吸を意味しています。空気を吸うようにエネルギーを呼吸するのです。それがプラーナヤーマです。

プラーナーヤーマ=調気法(ちょうきほう)

ヨーガにおいては生命の源は宇宙の気=プラーナであると考えられています。調気法とは、宇宙のエネルギー=プラーナ(生命力)を呼吸によって、コントロール(アーヤーマ)する行法です。様々に工夫された呼吸法によって、酸素を体内に取り入れ、血液を燃焼させ、生命エネルギーに転換する作用に加え、自律神経のバランスをとり、感情をコントロールするのです。ヨーガスートラにおいては「プラーナヤーマを行ずる事によって、心の輝きを覆い隠している煩悩が消える」と述べられています。
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賢者の石

宮本武蔵の書いた五輪書は、「地・水・火・風の巻」と続き、最後は「空の巻」で終わります。「空(くう)」は「無心の境地」「無我の境地」と言い換える事もできます。
アリストテレスの4大元素「地・水・火・風」を統合する第五の元素は「物質」ではなく、「心の状態」の事であり、宇宙の万物をつなげる集合的無意識(宇宙意識)と言い換える事も出来ます。
だから物質の中から探しもとめていた錬金術師達は、第五元素である「賢者の石」を発見する事ができなかったのでした。
第五元素(賢者の石)「空」とは、あらゆる物質を支配する力で、東洋で言う所の「空」つまり「無欲(無心)な心の状態」であり、 西洋で言う所の「潜在意識的・集合無意識的な心の状態」であると言う事が出来るのかも知れません。
つまり、自分の小さな肉体意識(個・我意識)を超えて、より大きな宇宙意識に心の波長を合わせれる人間こそが、あらゆる物質を支配する力(賢者の石)を手にする事が出来るのでした。



【参考図書】
宮本武蔵 五輪書:徳間書店

宮本武蔵と五輪書仏教と五輪塔五輪塔について宝珠五重塔五字厳身観
アリストテレスフィフス・エレメント(第五要素)古代インドと地水火風空賢者の石